火曜日, 2月 21, 2012

20120221_ガラテヤ5-6

■ガラテヤ5:13兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。5:14律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。
★律法に生きることが肉の働く機会となるとはどういう事でしょう。ただイエス・キリストの十字架の贖いの恵みによって救われたクリスチャンが、自分の行いを誇り、あたかも自分の良き行いのゆえに神様に受け入れられたかのように錯覚し、他者を蔑み始めるようになる危険性のことです。そういう意味で、ここで律法の目的が隣人愛にあることがセットで記されていることは注目に値すべきです。愛がなければ一切は無益です。あなたの内に潜む動機は、おごりですか、愛ですか。

■ガラテヤ6:7思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。6:8自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。6:9善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
★意識してかせずしてか、それは別として、私たちの人生は種まきのようです。律法主義の、おごりに蒔くか。愛に蒔くか。律法主義の実は不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興の類で、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。お互いの人生にはどんな実がなっているでしょう。今日はしばらく立ち止まり、イエス様と一緒に、このことを吟味する日としてはどうでしょう。主との交わりの上に祝福をお祈りします。ヒデ

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