日曜日, 9月 13, 2009

20090913_2列王19_エゼキエル9_ルカ5

■2列王19:20アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』
★神様はヒゼキヤ王の捧げた祈りゆえにアッシリヤからイスラエルを救われました。さてヒゼキヤはどんな祈りを捧げたのでしょうか。聖書は彼が主の前に以下の様に祈ったことを記します。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたアッシリヤの王セナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。しかし、それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。しかし私たちの神であられる、主よ。あなたは生きておられるお方です。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」
即ち主の主権と御力を認め、神様の正面に存在を懸けて立ち、心を注ぎだして祈ったのです。そして主はあなたの祈りも聞かれるのです。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★ここには主の祝福を受ける秘訣が鮮やかです。「……でした。でもお言葉どおり、……してみましょう。」その時、人はキリストが神であり、キリストの言葉には力があることを体験し、始めて畏れるべき神様を知ることができるのです。またこれ以外信仰生活の原点はありません。キリストと人を競べたり、キリストと自分の考えを競べたりそれは愚かです。まず従いましょう。あなたが今立っているところはすでに全能者の愛の御手の中なのですから。ヒデ

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