日曜日, 2月 17, 2013

20130217_マタイ10-12

■マタイ10:19人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。10:20というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
★確かに、何をどのように話そうか、と心配する必要はないでしょう。聖霊様が語るべき、ふさわしい言葉をその時、与えて下さるのですから。そのことよりもお互いは、いざと言う時、立つべきところに立っていることができるかを問うべきでしょう。あのペテロでさえも鶏が鳴く前に3度も知らないと語ってしまったのですから。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
★多くの人が勘違いしている箇所です。安らぎは全てのくびきから、人が解放される時に与えられるものであるかのように。しかし違います。本当は主が負わせて下さるくびきを負うときにこそ与えられるものです。

■マタイ12:48しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」12:49それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。12:50天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
★主はあなたを兄弟として招いておられます。ヒデ

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